霜明洞のカウンター席にて記す。
普通のブログ。
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無知は言い訳にならない。
両腕を切り落としてしまいたい、とずっと思っていた。
欲張りにかき集めるだけで、この腕は何も守れない。 掻き回して壊すだけで、何も生む事が出来ない。 昔から考え続けてきた事がある。 民俗学を勉強して、英語を勉強して、それらに連なる諸々も勉強して、そして私には何が出来るのだろう。 人の役に立ちたい、とずっと考えていたけれど、答えは見付からなかった。 私の知識が人の命を救う事も、病を治す事も、物を作る事もない。 私は溜め込んで消費するだけの存在だと思っていた。 もう一つ。 大人になる、ってどういう事だろう。 年齢を重ねる事。 知識を得る事。 経験を積む事。 視野を広げる事。 どれも「大人になる事」の一部分しか表していないと思う。 だけど分からないからといって、子供のままでいる事は許されない。 いつまでも庇護される側ではいられないのだ。 誰かを愛する為には、大人にならなければならない。 今、英語の教育者になる為の勉強をしている。 英語を教えるという事は、自分の知っている単語や文法を伝えるという事ではない。 自分と他者の違いを理解し、受け入れ、尊重しあえる人間を育てる事。 他の世界に対して恐怖ではなく興味を持てる人間を育てる事。 知ろうとする事が出来き、自分の事を伝える事が出来るような人間を育てる事。 英語でも民俗学でも、色んな事を勉強していて共通して感じたのは、知らないという事は悲しいという事。 無知から偏見が生まれ、溝が出来て対立が起きる。 それを正す、もしくは防ぐ手伝いが、私には出来るのだ。 大人になる、ってどういう事だろう。 私は与えられるようになる事だと思ってる。 座ったまま誰かが愛を与えてくれるのを待っているのではなく、歩いて誰かの側に行き、愛を与えてあげる事。 未知のものだからといって遠ざけるのではなく、話し合い、喧嘩して、愛する事が出来れば、未来は広がるだろう。 言葉の壁以上に大きいのは、意識の壁だ。 私は私に出来る事で、他者と通じ合う楽しさを教えてあげたい。 世界はとても広いけれど、腕を伸ばせば届くのだ。 PR
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